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zoom RSS あこがれの信州暮らし その153(2016年11月) by 稲角尚子

<<   作成日時 : 2016/11/23 22:23   >>

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あこがれの信州暮らし その153(2016年11月)

 きれいな言葉

           稲角尚子

 当初は「そんな発言してるってホントなの?」と耳を疑った大統領候補が、次期アメリカ大統領に選出されてしまいました。不正のない(たぶん・・)選挙でちゃんと選ばれた末に。ラジオ番組も新聞記事も「信じられない」「予想もしなかった」というコメント満載でしたが、私はずっとイヤな予感がしていました。だって「接戦」と報じられていたってことは、すでにかなりの人が支持していたってことですもんね。だから、考え込んでしまいます。暴言満載の彼の発言に喝采を送る人が確かにいるという事実の意味を。

 考えてみれば、何の恥じらいもなく、公然と侮蔑的な言葉を使い、罵詈雑言を言いたい放題の政治家が支持されるのって、アメリカだけではありません。アノ石原慎太郎元東京都知事だって圧倒的な得票率で当選していましたよね。やっぱり、ちゃぁんといるんですよね、支持する人たちが。それも、ものすごくたくさんの数の人たち。これが多数決を旨とする「民主主義」のひとつの実態なんだ、と暗然とした気分になります。

 いや、政治家の派手な発言だと目立つだけで、もはや、私たちの日常の中にネガティブな言葉はあふれているのかもしれません。ネット上の個人のブログですら、簡単に「炎上」するんだそうです。公人の、公的な場での発言に対して批判し、抗議することは大事ですが、巷にあふれているのは、少し目立つ人たちへの「誹謗」「中傷」の類。よく言われるのは「その前提には社会経済の行き詰まりや社会の閉塞感、それに伴う経済格差の拡大というのがあって、そういったものに対するやり場のない怒りがある」ということ。でも、本当にそれだけだろうか?

 日常の中には「怒り」もあれば「哀しみ」もあるし、「不安」もあれば「憤り」もある。そんな時に、ひたすら耳を傾けてくれる人がたった一人でもいたら、人は外に向かって攻撃的な言葉を投げつけるだろうか。怒りは怒りとして、その怒りの意味やその根底に横たわる問題の本質を考えるには、「誰かに話す」ことが大事なのに、「その誰かが一人もいない」という人がこれまでになく増えているのではないか?
 
 仕事だって、子育てだって、介護だって、思い通りにはいかないことばかりです。献身的な努力が報われるとは限らないし・・・。そんな時に「親身になって」聞いてくれる誰かがいることで、人は癒されるし、そのあとも何とかやっていける。「不運な自分に比べ、あの人は・・・」と他人を妬んだり、弱者を排斥したりする今の現象は、やっぱり普段の自分を取り巻く人間関係の希薄さが影響するんじゃないのかなぁ。

 メディアには親しみやすさをウリにした、ぞんざいで荒っぽい言葉があふれているような気がします。そんな時代だからこそ、普段から丁寧で優しい言葉を使いたい。紡ぎ出す言葉と行動はきっとつながっていると思うから。

 数日前の朝、庭の隅を歩いていたアライグマを見つけました。彼はサササッとすぐ裏の石垣の中に潜り込んで隠れました。こんな近くに巣穴があったなんて! その時、思わず発した私の言葉は「あらっ! アンタ何してるねん!」。これがいけませんね。「あらっ! いつからそんなところにいらしたの?」・・・・・やっぱ無理か?

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