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zoom RSS 「住み慣れた街で生きて逝く」 by 稲角尚子

<<   作成日時 : 2017/01/16 11:10   >>

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あこがれの信州暮らし その154(2017年1月)

 「住み慣れた街で生きて逝く」

   

 雪のないお正月でした。近いうちにドカンと来るんじゃないかと恐れていたら、やっぱり・・・ドカン!
私たち夫婦の年齢から言うと当然のことなのでしょうが、数年前から喪中欠礼のハガキがぐっと増えました。親も恩師も、今までお世話になった方々がことごとく、そういう年齢なんですよね。そうして、「次」は自分たちの番なのでしょう。10年ほど前まではあまり深く考えもしなかった「人間の死亡率は100%」という厳然とした事実を突きつけられている気がします。

 そうして、同年代の友人たちからの年賀状は介護の話題満載。「夫婦それぞれの親のところ(岩手と大分)を行ったり来たり」で大変そうな東京の友人。「足が不自由でわがままな母に振り回される毎日。さすがに疲れた」と言う、その彼女の方が心配な友人。「認知の母のことで、心がヘトヘト状態」と書いていた友人は大丈夫やろか。「(両親の介護を巡って)きょうだい関係がネックになってきた」という後輩もいるし、「『家に帰る』と言って出かけて道がわからなくなった母を近所の人、通りがかりの人が見守り、(迎えに行く)私を一緒に待っていて下さっている。本当に助けられている」という先輩も。・・・そして、親の介護のために夫婦の別居が長期に及んでいる友人は、ついに離婚訴訟に発展してしまった。

 介護だって子育てだって、夫婦の意思疎通と協力が不可欠です。介護をきっかけに離婚が取り沙汰されるってことは、たとえ介護の問題がなくても、もともとの夫婦関係に何か問題があったってことなのかもしれません。それでも、・・・と思うんですよね。その友人は、月に1〜2回の介護帰省を始めて14年。毎週末になって9年。別居して親の元に常駐するようになって6年・・・いやぁ!さすがに長すぎないか? どうして、親の方が移動してくれなかったのか? きょうだいとは分担できなかったのか?

 親の方が移動する・・・実はこれが難しい。

 高齢になった親のほとんどは「住み慣れた街で生きて逝く」ことを望みます。もちろん、そうできたら一番いい。血縁だけでなく、地縁やサークル縁、志縁などさまざまなつながりがある馴染みの場所で最期まで暮らせたら、それが一番いい。私だってそう思います。でも、その地に暮らしていない、遠方の子などの支援者側のことを考えたら、人は頑なに自分の希望だけに固執できるものだろうか? その友人の親だって、わが子の幸せを何よりも願っていたことでしょう。ところが、(支援する)子に頼っているうちに、どうすべきかを判断できない状態になってしまった。

 実は「住み慣れた街で生きて逝く」は、末期癌患者向けの狭義のホスピスケアに留まらず、すべての患者とその家族を住み慣れた地域で支えていこうというコミュニティケアを実践しておられる「ケアタウン小平」のケアチームのキャッチフレーズとも言うべき言葉です。私たち夫婦も深く賛同しているつもり。

 それなのに今、その私たちが三重県に住む一人暮らしの義母(83才 自立)に、住み慣れた土地を離れ、(親族を遠距離介護する)私たちの力になってほしい、と何度も頼んでいます。「ずっとこのまま馴染みの地で暮らしたい」と望んでいる義母に、「もし今後、遠距離介護が2ヶ所になると私たち二人の生活が成り立たない。助けてほしい」と。

 無茶なことを言っているのはわかっています。60年も住んでいる家を離れるのがどれ程つらいかは百も承知です。

 あぁ!歩み寄る着地点はどこにあるでしょうか。

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