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zoom RSS 健全な非常識 by 佐々木優子

<<   作成日時 : 2017/01/30 10:40   >>

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健全な非常識

佐々木優子

 先日の新聞記事で、「年賀状離れが進んでいる」というのを目にして、私は正直ホッとしました。実は、今回は一枚も書かなかったのです。ちょっと前なら非常識と言われました。思い起こせば、小学生の時分、クラスメイトに出したのが始まりだったかしら。その頃が一番楽しく書いていましたね。一枚一枚手書きで干支を描いたり、芋を削ってハンコを作ったり、そういう作業が苦にならなかった。そして、届く年賀状を見るのも楽しみでした。いつの頃からか、面倒くさくなってきました。大掃除もしなくなりました。そして、実家での「おせち作り」の手伝いもなくなりました。足腰が弱ってきた母はとうとう作るのを止めたのです。何もせずに過ごせる休み、これほど贅沢な事はありません。非常識と言われようと面倒な事はやらないことにする。この解放感を味わってしまうと、「手放す」ことが怖くなくなります。

 私の母は長年、小学校の教師をしていました。夕方遅くに帰ってきて家事をこなし、夜遅くまでテストの採点などをしていました。その様子を見ていた私は、幼少の頃から、邪魔をしないように、なるべく話しかけないようにと気をつかっていたものです。休日だからと言って休むことはなく、裁縫や手料理を振る舞い、常に忙しく動いていた母。

 そんな母が八十歳を超えたころからめっきりと弱くなりました。耳が遠くなり話が全くかみ合わないことも頻繁に起こります。そんな母が近頃、昔の話をすることが多くなってきました。先日は、小学三年になる私の娘を話し相手にしていました。母が教師になりたての頃、仲よくなった野良犬の話。毎朝出勤する時間になると、どこからともなくやってきては駅まで一緒に歩いてくれたそうです。でもある時、その犬が車に引かれて死んでしまったらしい。飼い犬ではないけれど、かわいそうになって、引き取りに行って、庭に埋めたそうです。この話、どこまで真実なのでしょうか。だって母は動物が苦手です。野良犬と仲よくなったなんて、とても信じられません。やっぱりボケてしまったのだろうか、と不安になる反面、娘とのやりとりは微笑ましく、見ていると安心感を抱きます。松本に母子避難をしていた間、ふたりの距離は大きく離れてしまいました。しかし、こうして茨城に戻って、その時間を取り戻しているようにも見えます。放射能汚染は嫌だけど、これはこれで良かったと思える事柄です。老いていく母をこうして近くで感じられること、私にとっては救いです。がむしゃらに働いてきた母に、やっとゆっくりできる時間が訪れたのです。

 いわゆる、戦後の高度経済成長期を支えてきたのが私の親世代。家庭を犠牲にして働いてきた人たちです。彼らの働きが日本を経済大国にしたのです。しかし、無理は禁物、その歪みが、家庭内暴力や引きこもりなどの家庭崩壊を招いたとも言われています。そして私の世代は「アダルトチルドレン」。体は大人でも心は未熟。そして、今もなお「不幸な家庭」の連鎖を断ち切ることは難しいようです。こうした関連付けを否定する学者は多くいるようですが、私自身、育った環境が幸せだったと言い切ることができません。そして、「不幸な家庭」で育った事を認める友人たちも少なからず私のまわりにはいるのです。

 すぐに怒鳴る怒りっぽい父、そして常に忙しく動き回っている母、無関心を装う兄。家族四人で囲む食卓に会話はなく、テレビを見ながら黙々と食べるだけでした。私は、小学生の頃から、特に父と話すことを避けるようになりました。父は些細な事で怒鳴るので、まともな話をすることはできません。私は「この人は頭のおかしい人だ」と決めつけることで自分を守ることにしたのです。実際、父が亡くなるまで続いたのです。ですから、父の事は何も知りませんでした。

 2011年の震災の年の暮れ、父の葬式の後、兄から聞いた話に、私は驚愕しました。「親父は子供の時に寂しい思いをしたからなぁ」と。父が幼い時に母親を亡くしていたこと。継母とは仲よくなかったことなど。そして葬式に来ていた叔父が、父とは異母兄弟だったことなど。私は初耳だったのです。そして、兄が、そういう事情を熟知していたことにも本当に驚きました。だって、兄と父が話している所を私は見たことがないのです。これは、ミステリーです。父が死んでから、自分の家族に対して、私は初めて興味を覚えたのです。しかし、今となっては遅すぎます。できれば、私の子供時代に、父の話を家族で共有できたなら、私は違っていたのかもしれない。そして、「自分は不幸な家に育った」と言った友人も、私の知らない「不幸な家」で育った人たちも、ほんの小さな試みを起こすことで「幸せな家」になったのかもしれないのです。小さな不幸の集まりは悲劇を生みます。その反対に、小さな幸せの集まりは大きな幸福につながると私は考えます。連鎖を断ち切るために、非常識と言われようと、私は楽になりたい。まずはそこから始めようと思います。

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