「私」ができることはあるか? by 稲角尚子

あこがれの信州暮らし その175(2019年2月)

 「私」ができることはあるか?

 稲角尚子

 1月下旬、親の虐待で子どもの命が失われるという痛ましい事件が、また、起こりました。学校や教育委員会、児童相談所の対応を非難する報道は半月たった今も続いています。もちろん、責任は重いです。でも、その責任を追及し糾弾しさえすれば、それでいいのか? 「私」ができることはないのか?私たち家族にとって、忘れられない男の子がいます。
 
 下の息子が小学校1年の時のことです。6才という年齢を疑うような、極めて危ない悪事をやってのけるクラスメートA君がいました。親たちは自分の子に危害が及ばぬよう、自分の子をA君から遠ざけ、担任や校長に何とかせよと激しく迫っていました。私たち家族は5月末に9ヶ月半滞在したアメリカから帰国したばかりでしたので、とりあえず私は息子の話をさりげなく聞きながら、見守っておりました。

 夏休みの終わり頃のことです。息子が『そばがらじさまとまめじさま』(福音館書店)という『花咲爺』の原型のような絵本を読んで感想文を書きました。2ヶ月遅れで小学校に入学したこともあって、一学期の後半2ヶ月で、なんとか「〇〇が××しました」のような簡単な文が書けるようになってきたばかりの息子です。私は、拙いながらも一生懸命に文章を紡いだ息子をまずは褒めるべきでした。

 息子が書いた文章はこのような内容のものでした。「そばがらじさまは、こんなわるいことばかりしていたらいけないとおもいます」。私は自分の顔がこわばっているのを自覚しながら、言ってしまいました。「そばがらじさまはなんでこんなにひどいことばっかりするんやろ?」「嫌われるとわかってるのに、なんでしてしまうんやろ?」・・・話しているうちに涙が出てしまいました。褒めてもらえると思って母親に見せた息子は、私の涙に初めは驚いて目を見開いていましたが、しばらくしてポロポロと泣きながら言いました。「かあさん、わかった。そばがらじさまは、ともだちがほしかったんや!」。私は、親として今よりもっと未熟だったと思います。ひょっとしたら、その後の息子に無理をさせてしまったかもしれない、とも思います。息子よ、ゴメン。その時、私は自分を抑えられずに言うてしもた。

 それまでA君を遠巻きに眺めていた息子は、夏休み明けから休み時間も放課後もA君を誘って遊ぶようになりました。「Aと一緒やったら、おまえとも遊ばん」と他の友だちから言われても、です。でも、一人、また一人と友だちが戻ってきて一緒に遊ぶようになり・・・息子は本当にうれしそうでした。

 それからというもの、A君は多くの時間を息子と共有し、遊んだりおやつを食べたりする時以外の手持ちぶさたな時には、よく息子の耳たぶを触っていました。そして私は、電話が鳴って受話器を取るといきなり「〇〇(息子の名)はおる?」と言うA君に「自分の名前を先に言うんだよ」と教え、食卓では「食べ物をボロボロこぼさんようにお茶碗を手で持つんだよ」なども繰り返し教え、私のパートナーは彼らにベーゴマやメンコのやり方を教え、・・・実に忙しかった。

 白状します。私は「A君、ホンマに大丈夫やろか?」「息子も一緒に何かやらかすんじゃないか?」と内心ハラハラでした。でも、A君は息子にも3才下の娘にも、実に優しかった。少なくともわが家で「困ったこと」は一切なかった。・・・で、A君の悪事は治まったか? 話はそう簡単ではありません。(つづく)

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