いくつになっても、生まれて初めて。 by 佐々木優子

いくつになっても、生まれて初めて。

佐々木優子

 あらたまって言うのもなんですが、「自由になる」とか「自分を解放する」って、どういうことなのでしょうか。日本人は世界的に見ても平和的な憲法を持っています。ですから、個人の自由は確かに保障されているはず。しかしどうも窮屈さを感じて仕方がありません。どうしてなのでしょうか。

憲法という枠の中に、法律や規則があり、更に社会の常識、非常識、またはタブーなど、人は本当にさまざまな枠を作って生活をしています。その最少単位は家族の中の決まりごとでしょうか。そうそう、自分で自分の決まりを作るっていうのもありますね。決りを作るのが好きなのかもしれません。そして従わせることも。もちろん従うことも。習性でしょうかね。

 私も娘に対し、枠を作ってきました。それは子育てをしていく上で必要なことです。泣き叫ぶことで要求を示していた娘に対し、ひとこと語りかけて、私は無意識にやっていたのですね。授乳や、オムツを取り替えながら、私と娘の間に決まりごとが生まれてきたのでしょう。しかし、生まれて初めての枠づくり、疑問が生じます。塩梅がわからないのですから。ダメダメいいすぎかしら、と顧みることはよくあります。

 さて、そろそろ夏休みの計画を立てようかな、と思っていた頃、娘から「ひとりで行ってみたいの」と意を決した一言がありました。それは、関西方面で行われている自然教室への参加です。そこでは異年齢の子供らで森や川で思いっきり遊ぶことができます。勿論「ひとりで参加」が基本です。一昨年ぐらい前から、私から参加を勧めていたのですが、なかなか一歩を踏み出せなかった娘。私も無理強いはできません。今年は行くかしらねぇ、と思っていた矢先の事で、その一言は周りを驚かせました。そして計七泊八日の合宿生活。娘は見事にやってのけました。それは、私が娘を守るために作った「親から離れると危険が生じる可能性がある」という枠から、やっと一歩外へ踏み出したのです。それを人は、冒険とも言うのですがね。

 そして、娘が冒険をしている間、私も枠をひとつ越えてみました。それは「相部屋」。知らない人と一夜を共にする、というと怪しい響きですが、実際やってみるとホントに言葉通りの事なのです。眠りという無防備な状態をあかの他人と共有するのですから。

 まず、見ず知らずの他人を私は簡単に信用することができません。そして同室の相手も感じていることは明白で、特に言葉の通じない外国人と同室になると緊張が走ります。自意識過剰で想像たくましい私は「襲われたらどうしよう」、と悶々としていたのですが、実は意外にも平和な気分に浸れるものだと知りました。私が眠っている間に物を獲られたり危害を加えられたりすることがなく、爽やかな朝を迎えられたことは何事にも勝る幸福感を覚えるものと知ったのです。そういえばこんな話を思い出しました。現在でも、山深く原始的な生活を営んでいる人々は、朝の目覚めが一番幸福だ、という話を、命があるだけで幸せ、なのです。

 そして、空間をシェアすることで生まれた相手への信頼は、微笑みへとつながり、カタコトの挨拶、そして会話へと繋がっていったのです。それは、私の乏しい英会話でもなんとかなるものだという確信へ。

 震災以降、人間不信だった私の心に、ひとつの灯りが。思えば父が示した差別と偏見。その感情は、側にいる子供に、自然に刷り込まれます。父が生まれながら差別的な人間なのではありません。教育や環境がそうさせたにすぎないのです。そして新しい教育がなんとか私の視野を広げてくれる助けになったのです。

 しかし、私も知らずに、娘の前で、差別や偏見的な考えを見せていると思うのです。視野を広げて、私が作った枠をどんどん取っ払って欲しい。自分の手綱は自分でとって欲しい、と思います。

 娘の初めての冒険のお陰で、私も貴重な体験ができました。そして、こんなに長い時間、私ひとりで行動できたのは、娘が生まれてから初めてのこと。その貴重な時間を私は大切に使いました。大人の世界にどっぷりつかったのです。子供入場不可の施設を観光したり、子供不可のゲストハウスに泊ったり、子連れでは入れないような店で食事をしたり。もう楽しいったら、ありゃしません。よく先輩ママさんたちに言われたものですがね。子供が鬱陶しいって今は思うかもしれないけど、子供が親離れするときって、本当に寂しいわよってね。でも、私は、せいせいした気分を正直感じました。そして、娘をひとりの人間として扱っていかなければいけないって。だって、「私の物」じゃないのだから。

 1週間ぶりに再会した娘は日焼けして、なんだか別人のように見えました。「お帰りなさい」って言っても、「ただいま」とも言わず、でも、ふたりだけになるとべたべたしてきて、内弁慶なところは相変わらずでしたが、娘の心に変化が起きたことは事実です。娘もやっと私から解放される術を学んだようです。
それが自由への第一歩です。解放への第一歩です。

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